綺麗すぎる星と海と...
1日目続き☺︎
ブナケン島のホテルは基本的に3食(夜、朝、昼付)。部屋はコテージのようなもので、前には海が広がります。
チェックイン後、部屋で一息。
19:00の夕食まで周りを散歩したり、海を見たり、ゆっくりと過ごしました。
ちょうどそこにいて出会ったカマキリ。
まわりを散歩。
夕食後、クリスマスだからと言われて頂いたチョコクッキーをもって、海辺へ。
とはいっても部屋から30秒ですが(笑)
座って空を見上げると、そこには一面の星!日本でもここまでのはめったに?むしろ初めてかもしれない。とにかくとってもきれいでした。
砂浜に寝っ転がって、海の音を聞きながら、星空を楽しんでいると…
どこからか足音が。なんだ?!と思うと、ブナケン島のおじさん3人組。
「今からそこでキャンプファイヤーしながら飲むけどどう?」とのこと。
色々突っ込みたかったのですが、ホテルの前だし、ととりあえず参加することにしました。
まさかインドネシア人とお酒を一緒に飲む日が来るとは…。
何を言っているかはよくわからないインドネシア語の歌を聴きながら、キャンプファイヤーを囲んで(いかにも現地を体感したって感じ)。
強すぎるお酒をちょこちょこ飲みながら、星を見ながら。ちなみに現地のお酒は日本酒のようなものと赤ワインがありましたが、本当に濃い味だった。
どうやら彼らは昔からの幼馴染で、明日一人の人がバリに帰るから最後の夜を楽しみに海辺に来たようでした。
幸い彼らは英語が話せたので(こっちの多くの人は話せるみたい)、いろいろ話して。
とても楽しかったです💫
次の日があったので22:00くらいには帰宅。
眠りにつきましたとさ。
いざ、マナド・ブナケン島へ
12月26日から29日。
スラウェシ島の上の上の方にある「マナド」というところへ行ってきました。
マナドはインドネシアでは珍しい、約7割がクリスチャンという海沿いの街。
別名「ダイバーが一度が訪れたい街」ともいわれています。
今回の旅の目的は2つ
① 今年中に自分が住むジャワ島以外の島に行ってみたかった。
② マナドのミナハサという地域は、第二次世界大戦の際に日本人が多くいたといわれている、ということで日本と深い関わりのある地域であること
とはいっても、マナドの旅情報は少なく。
行き当たりばったりでどうにかなる!ということでホテルと飛行機だけ予約し、当日を迎えました。
ということで、当たり前のことながらトラブル起きまくり。
現地の人に助けられてばかりの4日間でした。リゾートを感じるよりも、現地を感じられた旅となりよく考えれば目標に沿っていたかと。
簡単にではありますが旅行の様子を載せていきたいと思います。
1日目
初日到達点はブナケン島。マナド空港まで行った後、船着場まで移動し、近くのブナケン島に向かう予定にしていました。
朝8:15の飛行機になる予定で7時に向けて住居を出発。空港に1時間前にはつかないといけないという情報をどこかから得たので笑
シドアルジョからだとジュアンダ空港が最寄りになります。
行きはLion Airの直行便で(先生からはこの飛行機は止められましたいろいろな意味で笑)。
マナドとは時差が1時間あるので11:30着(フライト2時間半+時差1時間)。
ガイドブックには”ブナケン島への公共ボートがでてる”と書いていたのでホテルからの迎えは希望していなかった…そうこれが大きな間違えだったんです。
とりあえず、空港から出るとたくさんのタクシー運転手が「タクシー、タクシー」と声をかけてきます。いつも使っている配車アプリの車は空港には入ってこれないので、割高のタクシーに乗るしかない。
ということで、なんとなくタイミングが合って感じのよさそうなおじさんに「ブナケン島へ行くための公共ボート港に行きたい」と言ってみます。
まぁまぁの値段で、交渉の上送ってもらうことにしました。ちなみにこの時の値段は150,000ルピア。相場は100,000ルピア∼130,000ルピアくらいなのですが、休日であったこともあり、なくなく承諾しました。
30分足らずで、市場の裏にある港へ。
やっと着いて、降りようと思ったら運転手がボート乗り場のお兄ちゃんとなんか話してる。どうやら今は休日だからブナケン島へのボートはないらしいよ、と…。
つまり、そこらのボートに直接頼むしかないらしい。
どうしよう!となっているとお兄ちゃんが行きかえりで1,000,000ルピア(8000円くらい)でいいよ、とのこといくらなんでも公共ボートなら50,000ルピア(400円くらい)で行けるはずなのにそれはいやすぎる!ということで一旦保留。
仕方ないのでホテルに電話してみることにしました。
「200,000ルピアで迎えに行ってあげるからそこで30分くらい待ってて」
と言ってくれた(と思った)。タクシーの運転手さんともなんか話して、ここに来るそうだよ、と言っていたので信頼してそこで降りて待っていることにしました。
降りた近くは現地のおじさんたちが運搬の仕事をしていたところ。
じろじろと見られながら(こんなところに観光客はこないらしいかった)、30分が経過。
40分、50分…。そろそろおかしいと思って電話してみた。
「ずっと電話してたのにかからないから困ってたよ」とのこと。
携帯には着信は一件もなし…どうやら、電話番号の調子が悪かったみたい、すみません(あとでわかったことなのですが、これは私の携帯会社の電波がこの街で通ってなかったことが問題だったようです)。
「近くの人に代わってくれる?あなた見当たらない」と言われ、おじさんにかわってもらった。
……なんか言い合っている。
電話が終わって、なんだって?と聞くと、彼の言っている港はここじゃないって、とのこと。
えーーーーー。
「今、配車頼んだからちょっと待っててね」
ありがとうございます…。ということで配車が来るまで、たくさんのおじさんたちと写真撮影が始まってしまった(笑)
やっと車が来て、乗ること30分。山を上がったり下がったり…ここも?!みたいなところもすいすい通っていくおじさん。
途中コンビニやらガソリンスタンドに寄り道し、やっと着いたのは、さっき私が待っていた港の反対側のようでした。
島を横断した気分(笑)
そこで送ってくれたおじさんとはバイバイ。
手配してもらったボートに乗り込み20分弱。
やっと、やっと着きました。
この時点ですでに16:00前。もっとスムーズに着く予定だったのにおかしいなぁ。
結局合計460,000ルピア(4000円くらい)かかったので、ホテルの送迎を最初から頼めばよかったと後悔しそうでしたが、なんかすごい達成感だったし、現地の人とたくさん話せたし、何より島を感じられたのでそれでよしとしました。
宿泊先の前は海。当たり前ですが、とっても綺麗、頑張ってきた甲斐がありました。
続く
“Batik(バティック)”を着れること=🇮🇩生活のたのしみ
インドネシアに来るときに、真っ先に気になったのが「日々の服装」について。
今日はそれについて書きたいと思います。
日本の学校の先生といえば、きまったものを着ているイメージ(私の高校ではそうだった)。
でも、なんにしても「自由」というのは難しいもの。ましてやインドネシアという国を全く知らなかった半年前の私にとっては未知の世界でした。
ということで、🇮🇩の準備中、前任の方々に
「学校では何を着ていたか」と尋ねた。
「自分の服はほとんどどもっていかなかったよ、“バティック“を着ていた」とのこと。
“Batik(バティック)“とは...??🤔
バティックとは、
日本のスーツや制服に変わる正装のこと。
白や黒がベースのスーツや制服とは大きく違い、とってもカラフル&模様が多いです。
伝統衣装ともいえるようなもので、地域によって柄が大きく変わります。統一感を表すのにみんなが持ってる同じ柄のバティックを使うのが1番いいのはたしかかもしれませんね(^^)
聞いた時は、まったく想像がつかない…どんなものだろうと不思議に思っていたのがウソのよう。
今では毎日その“バティック”を着て学校に行っています。こっちに来てからはコレクションし始めるほどにはまり、帰る時にどうしようかという悩みが出てきた最近。笑
後で見てもらえばわかるように、中々日本では消えないほど柄が騒がしい。もともとこのような柄を含む私にとっては、周りを気にしなくていいのでとっても嬉しいのですが。
前置きが長くなりましたが、その“バティック”がこちら。
これはワンピース調になっていて、はじめのほうによく着てたもの。
これは審査員協力の際に頂いた。
学校でもらまた生地で仕立てたもの。
これはジャワ島の柄。
これは学校の先生たち揃いのバティック。どこか行く時はこれを着て行きます。
変なスタンプなとこは気にしないでください。
ちなみに一週間ずっとバティックを着ることはなく(欲を言えば着ていたい)、
月曜日は公務員の制服、水曜日は大統領スタイルで、上は白シャツ、下は黒で決まっています。
生徒たちの制服も、バティック生地の物もあれば、全身白の物もあり、すごい統一感。
旅行の時や、決まった日には先生たちみんなで同じバティックや、色だけでもそろえることが多く…また、お土産などにもらうことも多い。
ということで滞在4か月の私もすでに10着以上持っています(笑)
バティックの値段×作り方
値段もピンからキリまで。300円の物もあれば、1万円以上するものも。
というのも、バティックは本来、ろうを溶かして彩っていくもののため、本来の作り方をしているものはとても手間がかかるのです。最近はプリントしているものが増えており、そのようなものは安い。それに質が全然変わる!
ロウを溶かして、息を吹きかけたあと
その熱を使って模様を描く。
こうやって本来の作り方されているものは高いですが、やっぱり、バティックが好きな私にとっては憧れです。
柄も男性、女性用の物もあれば、共有の物もあり。
もう出来上がっているものもあれば、布だけ売っていて、自分で好きな形に仕立ててもらうこともある。女性の場合は、仕立ててもらうことの方が多いように感じます。
これはつい最近、マドゥラ島で一目惚れした生地でつくってもらったバティック😌
お気に入りです!!!
奥の深いバティック
色、柄、形などでいろいろな意味を持っているようで、日にちや行事によってみんなで決めてることもあります。その統一から外れると、少し浮いてしまうのも事実。
4か月だけではよくわからないことの多い、不思議なバティックですが、「郷に入っては郷に従え」というもの。
残り2か月になってきましたが、バティック生活を楽しんでいきたいと思います。
お正月ひとつ。たくさんの伝え方
みなさん、新年あけましておめでとうございます!
一月も気づけば後半にに…前回の投稿からもう半月以上も経ってしまいました😢
時のはやさに驚きですね。シドアルジョ滞在も残り2か月ちょっと。1日1日、本当に大切に過ごしていかないといけないですね。
そんな決意はさておき、今日はインドネシアでの年越しとお正月について。
30度の中での年越し
一年中暑いインドネシア。
年越しの瞬間はたしかにはたくさんの花火が町中で上がるのですが、それで終わり。
日本のように、初日の出を見たり、お祝いしたり…ということはあまりないようです。
なぜなら…イスラムの暦から、日本のようなお正月のお祝いをするのはインドネシアでは7月あたり。
ということで、1月2日には学校開始。
店も会社もたいてい2日から始まり、日本のように町全体がお正月になるようなことはありませんでした。
日本人からしたら違和感ありまくり&少し物足りない気もしますが(毎年日本のお正月を過ごしていたら当たり前ですね)、
日本ほど、この年越し&お正月時期を大切にする国の方が珍しいのか?というのをインドネシアに来て、感じました。
つかのまのお正月。
年越し後、こっちでの恒例の渋滞の様子。
私の派遣先校も2日から始まったわけですが、新年初めの授業では
「日本のお正月について」の紹介を。
まず簡単に、お正月の意味や日本人の元旦の一日の過ごし方などを説明。
あえてここには書きませんが、恥ずかしながらお正月の意味を今回初めて知りました(笑)
インドネシアの生徒たちにとって、年越しそばも初日の出もおせちも謎が残ったようでしたが、“お年玉“の文化は名前は違えど、7月のお祝い時期にはこっちでもあるようでした。
その後は、みんなで年賀状作り。
「新年あけましておめでとうございます」の言葉は絶対書くように!
それ以外は自由でよし!
と普段漢字を書くことのない生徒たちにいうと、「えーーー」と言いながらみんな練習。
皆とってもきれいにかけていました。
文句言いながらも適当にやるのではなく、ちゃんと漢字を練習してから本番へ。
とっても綺麗にできました。
私宛てに書いてくれた生徒も!うれしいですね!
干支について
年賀状の説明をする際に、
「日本人は干支を年賀状に書くことがあります」と、軽く干支の話も交えたのですが、なんと今年の干支は戌。
イスラム教の強いシドアルジョでは、犬は一匹も見たことがありません。
というのも、イスラム教の教えの中で、犬はとてもよくない存在。
インドネシア人、結構犬を嫌がります。
なので今年の干支は伏せながらの説明になりました(中には聞いてくる子や年賀状に書いている子もいましたが)。
改めてですが、「お正月」ひとつを伝えるだけでも、宗教、国柄でたくさんの違いがあって、考慮しなければならないこともあるということ。
日常になりつつあったことではありますが、今回はいつもに増して強く感じました。
でもみんなが少しでも楽しめたならよかったかな?
ここからは、面白かった(?)、というより可愛かった話。
年賀状を作る際、生徒には誰に宛てて書いてもよい、と伝えていたのですが、先生が冗談で「恋人に書いてもいいよ(笑)」っていうのにハマっていたので、あるクラスでは女子みんなが「好きな人」に向けて書くことに(中には男の子もいました)。
ということで、ある一人の生徒が
「先生、“Do you want to be my boyfriend?”ってにほんごでなんてかくの?」
と聞いてきました。
ひらがなで教えてあげましたが、他の子の年賀状を見ても「あいしてる!」ってかいてたり、「大好き」って書いていたり。
いつの間にかそのクラスでは年賀状=‘ラブレター‘みたいな存在に。
なんかちょっとちがうぞ??と思いながらも、とってもかわいかったので、「終わった人は、相手に渡してください!」というと「えーーーー」と恥ずかしがりながら、ブーイング。
それはそうだよなあ…😊
少し高校生が懐かしくなった瞬間でした。
ついにあの”○の動物園”に行ってみた
私の住んでいるシドアルジョから1時間くらい、インドネシアの第二の都市に「死の動物園」といわれる動物園があるんです。
広すぎて動物もたくさんいるのに、飼育員が足りないのだとか…
ということで、飼育されている動物が死んでいることが多いため、「死の動物園」と言われているそう。
インドネシアに来て、もうすぐ3か月になりますが、そこにはまだ一度も行ったことのなかった私。
よくパートナーの先生にも「ここはスラバヤの有名な動物園です。動物が多く、とても広いんです。もう行きましたか?」と何回も言われていたので、本当に気にはなっていたんです(先生にはさすがに「本当に市の動物園何ですか?とは聞けず)。一度は行ってみたいと思っていたものの…なんせ死んでいる動物がいるというので、中々勇気が出ずにいました。
そんな時、スラバヤに旅行に来た知り合いから「スラバヤの動物園、実はコモドドラゴンがいるらしい」という情報を頂いた!
死んでいる動物がいるかもしれない<コモドドラゴン!!!
ということで、早速行ってきました。
ここまで私がコモドドラゴンに興味を持った理由は…
① 爬虫類の中で一番大きいといわれている生物である
② 本来なら、バリの横のロンボク島の又その横の“コモド島”や“フローレンス島”でしか見えない生物であること(そこまではお金と時間が許さなかった)
③ 動きが爬虫類の中でも遅いといわれているにもかかわらず、獲物を見つけたときの動きがすごいらしい&跡形もなく全部食べるらしい
つまりなんかとにかく貴重で珍しくて、中々見えない生物であることには間違いない!
というひたすら単純な理由です(笑)
前置きが長くなりました。
その動物園というのがここ。
「スラバヤ動物園(Kebun Binatang Surabaya)」
見づらい、、、
前にはこのモニュメント。
たまたま、クリスマスイブの日曜日だったこともあり、とっても混雑していました。
暑苦しくはありましたが、平日で人があまりいなかったら逆に怖かった…(笑)
日本でも特に動物園が好きなわけではなく、コモドドラゴン以外の目的はなかったのでチケット売り場でまず確認することにしました。
私「コモドドラゴン、ここにいますか??」
お姉さん「はい、いますよ。たくさん…だいたい20頭くらいです。入ってすぐ、右のところです」
え、そんなに!それは楽しみ!ということでチケットを購入。
一人15,000インドネシアルピア(150円くらい)でした。日本に比べると相当安い。10分の1くらいでしょうか。
人までも襲うといわれているコモドドラゴン。実際に自然のコモドを見ることができる島では観光客が襲われることもあるといわれているそうなので、さぞ警備のしっかりしたガラス張りのケースに入っているのだと思い込んでた私たち。
ひたすら想像に合うエリアを探してたのですが…ない。
真っ直ぐいって、右、と言われたのでそういったのですが、どこかで間違えたようでした。
そこら辺のお客さんに訪ねながら「あっち」「こっち」と言われながらも、見つからず。
途中、すっごい怖そうな警備員の男性2人にはなぜか写真をお願いされ…。
困ったなぁ、と言っていたところに、やっと信頼のありそうな飼育員さん発見!
「コモドドラゴンどこですか?」
「ここすぐのところだよ、ほら、そこ」
そっちを見てみると、普通に熊とかのいそうな、ガラスとか警備員とか全くいない、壁があるだけのエリアが広がっていました。
「どこ?????」となりながらもとりあえず、向かってみる。
つきました、コモドドラゴンエリア!
いました、コモドドラゴン!!
既に30分近く炎天下を歩いていたので、というのもあって限りない達成感。
うれしい...
でも結構近い。
これが本当に危険なあの、コモドドラゴン?
特にセキュリティの人かもいないし、大丈夫なのか!!!と急に怖くなってきたわたし。
壁とかの手すりだけ。
興奮しながらも後ずさりしてました笑
でも近くにいた人によれば、コモドドラゴンはそこまでのジャンプ力はないし、そもそも動物園にいるコモドたちは十分にご飯をもらっているから人を襲うことはないとのこと。
それを聞いて、やっとコモドドラゴンエリアに安心して近づくことができました。
ズームで
本当に大きく手、全長3メートルくらいあるコモドもいるそう。
確かにたくさんいました。
ちなみに写真はないのですが、コモドの子供もいました。小さい時はお母さんに食べられてしまう可能性があるので、別々に入れられていうのだとか。
唾液にはすごい猛毒が含まれてるそうなのですが、嚙んだらすぐ死ぬのではなく、2,3日は苦しめられるのだとか。
基本的に獲物をとるときは、一匹のコモドが獲物を噛み、その獲物が死んだら、内臓までをみんなで分けて食べるのだとか…。
絶対に噛まれたくない。残酷です。
でも、見えてよかった!道のりは長かったですが、よかったです。
ちなみに、周りの動物も死んでいることもなく、とっても元気。
キリンや象、サル、鳥。日本と同じような感じでした。
こんなにかわいい動物もいました。
同じゲートにはキリンも!
かわいい。
鹿とキリンを同じゲートにいれるのはよくわかりませんが笑
奥には100円程払ったら入れる水族館もありました。
他にも子供の遊べるところや、出店などが出てました。
ちなみに、なぜ迷ったかはこの通り。
たしかにはいってすぐ右でよかったんです。
最初にお姉さんがいっていたことがあっていました(笑)
※広すぎて記憶が曖昧なので、細かいことは気にしないでください。あくまでもお姉さんが合ってたということを伝える地図です😅
皆さんもスラバヤに行くことがあったら是非行ってみてくださいね!
ということでこの投稿で、2017年は締めくくりたいとおもいます。
コモドドラゴンについてが最後になるとは...
読んでくださったみなさんありがとうございます!残りの派遣期間もできるだけインドネシアの文化、シドアルジョの生活を発信していきたいと思ってます。
2018年もよろしくお願いします!
シドアルジョ食事情-朝食 &おやつ編-
次回に引き続き今回は、
シドアルジョでの朝食&おやつみたいなものの紹介をします。
インドネシア人の朝の定番メニュー
シドアルジョで定番の朝食といったらこれ、
「Bubur Ayame(ブーブルアヤム)」。
私がインドネシアで1番好きな食べ物です。
鶏肉やらいろいろとのっているおかゆなのですが、唯一胃に優しい。
朝ご飯限定らしく、朝の時間帯だけ道端のあちこちで専用の屋台が出ています。
これが一日中あったらいいのにな、と。
あるとき私が先生にいうと、
「昼とか夜にこんな胃に優しいものを食べる人はいないよ(笑)」と思いっきり笑われました。そういう理由か…。
朝ご飯は、このおかゆを食べる人もいれば、
昼や夜と同じメニューを食べる人もいるようです。
日本でいえばおやつとは言えないが、、、
的な間食の時に食べ物を紹介します。
前回の記事に沿って説明するのなら、10時とか15;00に食べるようなもの。
Bakso(バッソ)
日本でいうミートボールみたいなもの。麺や豆腐も一緒にはいってることがあって、そうなると少し名前が変わるらしいです。
Batagor(バタゴール)
これはジャガイモ、豆腐、卵、揚げシュウマイ...などなど。にピーナッツソースがかかっています!
これが結構おいしい!お気に入りです(^^)
Gado-Gado(ガドガド)
唯一の結構な野菜の量がとれる食べ物。
これもピーナッツソースがかかっていて、おいしいです。
これにはジャガイモではなく、Lonton(ロントン)というごはんを潰して丸めたやつがはいっていて、食べ応えが結構あります。
Sate(サテ)
日本でいう焼き鳥のようなもので、ラム肉と牛肉が基本です。ソースも味が店によってちょっとずつ違います。サテは少し高めです。
これらにご飯についたら、いちおうご飯扱いになるそうです。
これらも結構な量なので、日本人にとっては夕食代わりになります。
インドネシアのおかしについて
次はおかし編!としたいところなのですが、
インドネシアの伝統的なお菓子はなかなか甘すぎて、一気には食べられない…。
こんな感じのものが多いです。
油ものとお菓子が出てきたときにはどうしましょう、と思う程です。
なので夜にだけお店が出る有名なスイーツを一つだけここで紹介しておきたいと思います。
これです。
Martabak(マルタバ)です。
ちょっとわかりにくいのですが、どら焼きの生地にチョコやチーズがたっぷり入ってる、こっちではとっても有名なお菓子です。
すごい油っこいのですが、確かに”出来立て”はおいしい。味も色々とあって、オレオやメープルもあれば、ごはんがわりになるようなものもあるそうです。
しかし、問題はこれを売ってるお店がどこも夜にしかやってないということ。
基本的に道端の屋台や、ちっさいお店で売ってることが多いのですが、少し涼しくなる夕方から22:00くらいまで限定のお菓子なのです。
ということで、胃もたれがひどくなってしまうため2ヶ月半在住して食べたのは2回ほどです笑
もちろん冷蔵庫での保存は効くのですが、冷めたらとってもおいしくないのです😢😢あと量が多すぎて、誰かと一緒の時じゃないと食べれません😢
ということで、もう少しサーチを続けてから他のお菓子については記事にしたいと思います。
1番並みに驚いた食の違い
インドネシアの食文化はまだまだサーチ中ですが、2か月半在住して、食に関しては本当に驚かされることが多いです。
確かに日本と同じってことはないのはわかってましたが、ここまで違うのか!と。
私は日本人だから、もちろん日本食の方が好みますが、でもシドアルジョでの食べ物が日常になってきてる今、案外いけてる自分にも驚いてるところです。
残り3ヶ月半、まだまだいろんな食文化に触れていきたいと思う今日この頃なのです😌
ということで、とっても長くなってしまいましたが、シドアルジョの食事情についての記事は今回で終わりになります。
※食べ物の名前については場所や方言によって異なることがあります、ご了承下さい。
ありがとうございました!
シドアルジョ食事情-主食編-
前回はインドネシア(主にシドアルジョ)の食事事情について書きましたが、
ここでは、
「じゃあ実際どんなものがあるんだ?」
という話をしたいと思います。
食べ物は地域によって違うようなので、今回はジャワ島東ジャワ州のシドアルジョでの食事を紹介していきます。
※以下の写真は普段食べてるものというよりは、レストランなどで頼んだ時のものを載せてます(食べ物によってはリアル過ぎるのと、写真を撮れない時があってあまり屋台での写真がないです、すみません)。
基本は揚げ物
意外な人もいるかもしれませんが、
ここ、本当に油ものが多いです。
町のあらゆるところには屋台が並び、多くの店のメニューにはGoreng(ゴレン)の文字。
皆さんも「ナシゴレン」や「ミーゴレン」なら耳にしたことがあるかもしれません。
このゴレン、日本語で“油”という意味。
なので、
Nasi Goreng(ナシゴレン)⇒油で炒めたご飯
Mie Goreng(ミーゴレン)⇒油で炒めた麵
他にも
Bebek Goreng(べべゴレン)⇒揚げダック
Roti Goreng(ロティゴレン)⇒揚げパン
Pisang Goreng(ピサンゴレン)⇒揚げバナナ
など。
とにかく、油ものが多い、というのがはじめにきて一週間目の印象。
野菜もほとんどの場合、油で焼いたり、炒めていたりします。
この「揚げ文化」は、食べ物を少しでも長持ち&殺菌のためだそうです。
それにしてもここまで出てくるもの出てくるものが揚げ物だったらさすがに参りました…。
決して食べたくないとかではなくて、胃が受けてこなくなる…。
以上に書いたものが主食。
少しは胃に優しいスープごはん
Soto Ayam(ソトアヤム)
黄色いスープにチキンが入ったもの
Rawon(ラオン)
こっちのフルーツ?からだしをとった黒いスープに牛肉がのったもの
などのスープご飯があります。
また、自分で好きなおかずを選んで、白ごはんと混ぜて食べる形式も、店では多いです。
フライドチキンやテンペ(豆の天ぷら)、コーンの天ぷらや、野菜炒め、イカやエビなど。
これはある日学校で頂いたお昼ご飯。
エビのかきあげみたいなのと、辛すぎるイカ串とご飯です。
シドアルジョは魚(Ikan)が有名ということで、魚をごはんと食べることもあります。
食べ物はたっくさんあるので、書いていくときりはないのですが、今回は、私がシドアルジョでよく食べるものを紹介しました😊
次回は定番朝ごはん&おやつについて、紹介します!