シドアルジョ🇮🇩からこんにちは👧🏻

21歳女子大生。インドネシアあるまちでのまいにち?

言語はわからない、でも涙は

 

先週の土曜日のこと。

その少し前に
「10日は三年生の集まりがあります、親子で皆来ますから、先生も来てくださいね」
と言われていたので、予定を開けていたんです。当日は8:00に町の一番高級なホテル。

休日、親子、三年生、ホテル…全然何をするのかはわからなかったのですが、なんとなく親子面談を思い浮かべていました。タイムスケジュールによって入れ代わり立ち代わり、生徒が来るものなのかな、と。

しかし!!

着いてみると、大ホールへ。
そこに三年生全員とその親が座って、先生たちは後ろに並んでいました(ちなみにこの日もお揃いのバティックなので見つけやすかった)。

いつもとは少し違い、少し緊張の雰囲気。

皆、受付でもらう食べ物を食べていましたが(このような演説会や、普段の会議、いつも箱入りの食べ物が配られます)。

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 こんな感じのもの。

 

着いてからようやく、東ジャワ州マランの有名大学の教授による『大学受験』と『モチベーションをあげ、成功に繋げるにはどうすればいいか』という講演会だということを知りました。

ということで、かっちりした大学説明会が始まると思っていたら、お祈りの時間、国歌斉唱、校長先生の話、の後には、アーティストによる歌の披露が始まり…、中々読めないです(笑)

 

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後ろの教師席から。


その後、やっも大学教授が登場。
パワーポイントを使った細かい説明が始まるのかなと思いきや、いつまで経っても、笑い声が聞こえてくるような話。そのまま親子のアクティビティが始まりました。

右手挙げて、左手挙げて、はい、右の人の方を持って、もんで、たたいて、トンッ。
はい、左の人を向いて。同じことをして…。
学生にとって、隣は親。高校三年生の男の子にとっては少し恥ずかしいアクティビティのように思いましたが、そんなことは気にせず、楽しそうにやっていました。


少しその場を離れて、戻ったら今度は会場全体が“しんみり“していました。

何かと思えば「いつもお世話になっている親に感謝、全てのことにありがとう」を唱える時間。日本語で言う「自分の心に耳を当てて、いつもお世話になっている人、迷惑をかけている人に感謝しよう」ということでしょうか。

隣にいる親御さんに感謝、そして親は、肩を組んで、顔を近づけて、頭をなでて。いろんなところから小さく、泣き声が聞こえてきました。そのまま、教授はホール内を歩き、マイクを渡していってもらう。

少し話はずれますが、今回のことを通して、インドネシアの高校生の親子のカタチを見ることができました。

手を組んで入ってくる親子、仲良しそうに話す親子、親を優先して歩く親子。

日本では高校三年生、だいたい18歳くらいの学生とその親を対象にこのような講演会が行われることはあまりないので、新鮮。

あっても恥ずかしがって、ばらばらに座ることもあるのを見てきているため、余計にそう感じるのかもしれません。

 

みんな涙を流しながら感謝して、いつもごめんね、いつもありがとう、これから頑張ろう。なんかとても暖かく感じました。


次は、教師たちへの感謝の時間。

600人くらいいる親子の前に立ち、生徒たちや先生たちからの言葉、先生の名まえを呼ぶ叫び声、歌をみんなで聞き、最後はスマホのライトを使って、ライブ状態。

先生たちも終始泣いていました。

 

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最後は、教師全員前に立ち、親が並び、一人ひとりとインドネシア式のあいさつ”サリム(手と手を重ねる)”を、「Terima Kasih(ありがとう)」と言いながらしました。

この挨拶方法、相手に持つ尊敬の大きさが大きいほど、顔に近づけ、おでこやほっぺにつける時もあります。また、厳格な信仰心を持っている場合、相手が異性の時は手を合わせます。親が終わったら生徒、結局会場にいたほぼ全員とあいさつを交わしました。

※ちなみに、この挨拶は学校でも生徒とすれ違うたびにするのですが、相手がどう考えているかわからないため私は手を出していることしかできません。

 

普段、言語クラスとしか関わりのない3年生(基本は1、2年生のうちは日本語が必修)ですが、時には日本語で「せんせい!ありがとう」と言ってくれる生徒もいて、うれしかったです。


こうして講演会は無事に終わりました (結局大学入試のための説明は少しもなかったわけですが)。

今回、終始インドネシア語、ほとんど難しい話はもちろん聞き取れなかったわけですが、雰囲気によって私も涙を流すことに。

生徒、親、教師、みんなの暖かい気持ちが会場の中にあふれかえり、半年ほど会っていない自分の家族や友達にとっても感謝する時間になりました。

 

これも一つの文化、一つの体験、というだけではなく、私にとってもとてもいい時間になりました。