2018.3/30 インドネシアから帰国しました。
1年半経ちの更新は、え?!?!というところですが実はずっとログインできない状況が続いていました。
今回、新しくブログを始めるのを機に開いたのですが、なんと帰国報告をしてないということに気づき。
今さらながら更新した次第です。
7ヶ月という短い期間ではありつつも、1年半経った今も、シドアルジョでの日々ははっきりと覚えてます。23年間の人生の中で一番濃い時間だったことは言うまでもありません。
帰国してからもインドネシアで共に過ごしたメンバーとは2度、それぞれゆかりのある地に集合&旅行をするほど。先日は1年ぶりの再会でしたが、変わらずとても楽しかった。久しぶりの再会では、インドネシアでの話、帰国後の話に花を咲かせました。
そして色々と考えるきっかけをもらい、また一年後といってお別れ。それぞれの生活へ、、。
寂しいことですが、また来年自分も良い報告ができるように一生懸命がんばっていこうと思います。
CPの先生には帰国後に2度会い、帰国から半年後には1度、友人を連れシドアルジョに訪れました。久しぶりに訪れる地での過ごすインドネシアタイムは懐かしく、第二の故郷に帰ったよう。生徒や後任のNPにも会えてとても有意義な時間となりました。
帰国から1年半。
インドネシア語を話す機会はほぼなく、最後の大学生活を送っている今。それでもインドネシアで培われた価値観や性格は変わりません。
笑顔を、時間を、そして人を大切に。言葉や文化が違っても伝わることはある、ということ。
これを活かせる仕事につきたく、卒業後は悩んだ挙句、日本語教師を目指すことにしました。
詳しくは、新たなブログで🇯🇵🇮🇩
最後に
久しぶりに開いてみると、未だみてくれてる人がいるということに驚き、嬉しく☺️ただ、最後の締まりがあまりにもなさすぎるということで(そういうのが気になる性格なのです)、今回更新させてもらいました。
ここには書いてないことであっても
日本語パートナーズのことやインドネシア、東ジャワ州のことなど質問があれば、いつでも気軽に聞いてください🌟
皆さま、最後までありがとうございました。
[シドアルジョ🇮🇩からこんにちは👧🏻]
完
驚きの連続 「モール」とは
日本ではあまり聞かない「モール」という響き。皆さんは何を思い浮かべますか?
モールとはその名の通しショッピングモールのことを言いますが、こっちでは暑い分、モールがとっても重宝されています。
日本での駅ビルやデパートにあたる感じですが、駅自体がそんなに活用されてないこともあら、駅ビルと呼ばれることは少ないです。
高校生たちのデートの場所にもなれば、みんなで遊びに行く場所にもなります。
シドアルジョ中心部だけでも大きなモールは、4つほど。
各モール雰囲気が違うので、その時の気分、買うもの、天気や距離で決めたりします。
・Ramayana (服が多い)
・Sun city mall (映画館良い&近い&大きなスーパー)
・Lippo Plaza Sidoarjo (アルコールが売ってる&飲める)
・Carrifur (最近できたばかりできれい)
のよっつです。
きている客曽が少し違ったり、アルコールが売っているのはここ!映画を見るならここ、服を買うならここ…というような具合です。
アルコール事情
ちなみにシドアルジョでは私たちが見つけられているビールの飲めるお店は、Lippo plaza Sidoarjo(中華系の人が多い)のインドネシアシーフードのお店。全体的に青いのが特徴的です。とはいっても、売り切れだったり、まったく冷えていないことは、よくありますが。
他にもいくつかのレストランで飲めるようですが、モール内では見つけられてるのはここだけ。スラバヤの方まで出て行ったら、中華系の人のために結構色々なところで用意されてます。
そこのモールに入ってるスーパーでは、唯一ビールも扱っています(端の方に置かれてます)。私たちの住居は持ち込み禁止なので、買うことはありませんが。そういうとこも少なくないので、要確認です。
基本どこのモールもDVDショップ、カフェ、スーパー、ゲームセンター、洋服屋、マッサージ屋、といった具合で基本的な店は入っています。欠かせないのが、屋台みたいなのがあちこちにあること。から揚げ、ワッフル、ジュース。さすがインドネシアです。
日本でいうプリクラ
少しびっくりしたのがPhoto Box。日本で言うプリクラみたいなものなのですが、機械ではなく、全て手動。この前生徒に連れられ、初Photo Boxを体験してきました。何枚撮りたいか言って、個室に入り、制限時間(5分から20分までくらい)、背景もシャッターボタンも全て手動で変えます。その背景を撮り終えると、店員さんに「次は赤の背景お願いします」みたいな感じで。16枚セットだったので、20分、だいたい500円弱でした。
安すぎDVD &映画館
それと、もう一つ驚いたのがDVDショップ。
著作権は完全に無視している感じですが、1枚70円くらいでDVDがたくさん並んでいるお店です。いろんな国のがあり、たまに日本のを見つけることも。そうすると少しテンションが上がります(笑)そして、びっくりなのがつい最近まで公開していた映画のDVDもあること。一週間前に映画館で見たな、みたいなやつもDVD化されているわけ。ということで、見逃しちゃった!って言っても、一週間後くらいにはここにあるわ、とすぐみえます(映画館の経営が心配ですが笑)。
ちなみに映画館は、日本と同じような感じです。場所によってはとってもきれい(特に中家計の人が行くモールの中などにある映画館)ですし、チケットを買うと、ポップコーンが無料でついてくることもあります。そして、だいたい250円から500円程で見ることができます。
海外の映画の場合、字幕はインドネシア語、言葉は英語のことが多いので、早く公開されるし、インドネシア語よりはまだ理解できる、ということでたまに私も見ることがあります。話が終わって、エンドロールが始まった瞬間みんな帰り始めるので、余韻も何もないところだけが少し不満ですが(笑)
ウィンドウショッピングには向いてない
他のお店は基本的に日本と変わらない感じですが、どこも統一して言えるのは店員の数が本当に多いこと。ほとんど客がいない時間帯でも、たくさん配置されているようです。
客は4人しかいないのに店員は10人も、とかはざら。はじめは本当驚き&色々やりにくかったのを覚えています。
日本製が多い
ちなみにですが、こっちのゲームセンターにある機械はだいたい日本から来たもの。
昔のゲーム機があったり、日本語がちょこちょこ聞こえてきたりします。
こっちの車、基本はトヨタやスズキ、ホンダのため、インドネシア人も、これ日本からだよ!と教えてくれるのですが、ゲーム機に関しては、皆んな気づいてないようでした。
簡単にでしたが、以上シドアルジョのモール事情がでした。
今回はシドアルジョのモールについてでしたが、第二の都市、ここから1時間ほどのスラバヤまで出ると、まったく想像できないくらい綺麗で、日本でもなかなか見ないようなモールもたくさんあります!
インドネシア語って実際どうなの?!
帰国まで1ヶ月となった今、書く内容ではないかもしれませんが、今日はインドネシアの言語について書きたいと思います。
インドネシアに来るとなった時、特に気にもしなかった、というより何も考えていなかった言語について。
言葉を交わさないでどのように生活するつもりだったのだ、という感じですが、そこらへんは本当に抜けていたのでした。
今回の記事は、先にオチから。
『言語がとっても苦手な私にとって、インドネシアに来ることを選んだことはよかった』
どういうことだ!と思った人は最後まで読んでみてください(^^)
昔から言語というものに面白みは感じていたものの、そして英語必修科目の大学にはいるものの、そこまで得意ではない私。
得意不得意というより、三日坊主といった方が正しいですね(笑)よく言語には得意不得意はない!努力の結果だ!といわれるので。
大学で、英語が嫌になった時に「このままではやばい!言語を学ぶ癖をつけなくては!」と中国語の授業はとったことがありましたが、結局得意にはならず。
新しい言語は一からなので、確かに楽しいのですが、どこかしらでつまずき。
そんな私なのですが、インドネシア語は自分に合ってくれたので本当に良かった。ということで、今回インドネシアを選んだことは、後々正解だったことに気付いたのでした。
インドネシア語学習歴
インドネシアに来ることが決まったのがちょうど一年前の今頃。去年の四月ごろから、初心者用の本を使って勉強を始めました。とはいっても、文法を書いて、単語を覚えて、本に沿って進めてみるだけ。話すことも聞くこともほとんどなかったので、もちろん上達せず。
4か月独断でやった勉強内容は、日本語パートナーズ派遣前研修の語学授業(1か月、日曜日を除いた午前中3時間)にて、1週間で終わってしまいました(笑)
結局、独学では難しかったわけですが、語学研修出みっちり一か月、毎日3時間インドネシア人の先生による少人数での授業を受け(毎週土曜日にはミニテストがあり、最後は大きなテストもあり…)、なんとか苦手な数字などの分野も話せるようになったのでした。
英語学習者にとっては混乱するともいわれる
後からわかったことですが、インドネシア語はぱっと見、英語。単語は違うけれど、アルファベット表記なことから、普段英語を勉強している人にとっては、難しいのだそう。話すとき、書く時、頭の中で混乱してしまうのだそうです。
そう考えると、日本人はほとんどの場合英語を勉強しているため、向いていないのでは…と思うかもしれません。韓国語、タイ語やベトナム語の方がいっそのこといいのでは(見た目が違うので)!
とはいっても、ここからどうにか、初めに言ったオチに持っていきます。
なぜそれでも良いのかというと、英語と似てる発音、単語が多いこと(混乱はするけど、英語学習者にとっては良い点)が第一にあげられます。
そして①特に細かい順番がない+②基本単語を覚えれば、日常会話は困らない、(私が5か月過ごしてきた感じ)ということが挙げられます。
どういうことかというと、①はそのまま。インドネシア検定などに関しては、細かいルールがあるようですが、話す分にはこだわりはないようで(私の周りが気にしていないだけかも)、単語を並べれば伝わります。全くないわけではありませんが…。
そして、②について。
これは本当で、普段使う言葉だけを覚えておけばどうにかなるということ。あいさつや名前や感情など。そして覚える単語も少なく、例えば、“enak”という言葉は、「おいしい」という意味もあれば、「涼しい」という意味もあります。
そして、“kemarin”というのは過去を表す言葉で、昨日以降のことは全部これで解決してしまいます。もちろん一昨日、先週、先月、去年、と全部単語はあるわけですが、あまり使いません。このように日本語だと、一つ一つ分けて使う言葉たちが、インドネシア語だと一緒になっている(日常会話)場合が多いため、話しやすい、覚えやすいということです。
時には発音によって意味が変わってしまい、苦労することもありますが、そういう時はそういう時。何度も言ったり(語尾をあげたら大体伝わることもある)アルファベットを言って、どうにか伝えれば解決。そしてインドネシア人は基本的にあせあせしないので、相手もきちんと待って、聞いてくれます。
ということで、私が感じたこと、生活してみてどうにかなっていること、という個人的な理由ではありますが、インドネシアという国を派遣先に選んだことは、
言語の面からみて、結論的によかったと思っています。もちろんほかの面からみてもよかったと思っているわけですが(笑)
ちなみに続けて、方言についても。
私の地域は東ジャワ州に当たるわけですが、ここで日常的に皆が話しているのは“ジャワ語”というもの。これについては、ほとんど聞き取れないほどの現地語。インドネシア語とは全く違い、発音も難しいのです。
多民族国家のインドネシアを統一されるときに後から作られたのが、インドネシア語。つまり、インドネシア人からしてみたら、現地語が先なわけで。
日本で言う方言のようなもので、各地域によって、言語があります。ジャワはジャワ語、マドゥラ(スラバヤ近くの島)はマドゥラ語、民族も違えば言葉も全く異なり。
相手が話している言葉がインドネシア語と思いながら聞くものだから、こっちは全く分からない(ジャワ語と分かったとしても、理解はできませんが)、なんてことも多々あります。
私はジャワ語ができない!宣言をしているので、あまり話すことも覚えることもありませんが、困る頻度が最近増えてきたようには感じています。
ということで、最近は少しでもジャワ語を使えるように見様見真似で頑張ってます!
皆さん、どうでしょうか?少しでもインドネシア語に興味を持っていただけたら、光栄です。まだまだインドネシア語初心者ですが、これも何かの縁。日本に帰ってからも身近に触れられたらなぁと思っています。
新しい言語を勉強したいと思ってる方!
インドネシアに行く予定があってもなくても、インドネシア語、楽しいですよ!ぜひトライしてみてください!!!
長くなりましたが、以上です。
言語はわからない、でも涙は
先週の土曜日のこと。
その少し前に
「10日は三年生の集まりがあります、親子で皆来ますから、先生も来てくださいね」
と言われていたので、予定を開けていたんです。当日は8:00に町の一番高級なホテル。
休日、親子、三年生、ホテル…全然何をするのかはわからなかったのですが、なんとなく親子面談を思い浮かべていました。タイムスケジュールによって入れ代わり立ち代わり、生徒が来るものなのかな、と。
しかし!!
着いてみると、大ホールへ。
そこに三年生全員とその親が座って、先生たちは後ろに並んでいました(ちなみにこの日もお揃いのバティックなので見つけやすかった)。
いつもとは少し違い、少し緊張の雰囲気。
皆、受付でもらう食べ物を食べていましたが(このような演説会や、普段の会議、いつも箱入りの食べ物が配られます)。
こんな感じのもの。
着いてからようやく、東ジャワ州マランの有名大学の教授による『大学受験』と『モチベーションをあげ、成功に繋げるにはどうすればいいか』という講演会だということを知りました。
ということで、かっちりした大学説明会が始まると思っていたら、お祈りの時間、国歌斉唱、校長先生の話、の後には、アーティストによる歌の披露が始まり…、中々読めないです(笑)
後ろの教師席から。
その後、やっも大学教授が登場。
パワーポイントを使った細かい説明が始まるのかなと思いきや、いつまで経っても、笑い声が聞こえてくるような話。そのまま親子のアクティビティが始まりました。
右手挙げて、左手挙げて、はい、右の人の方を持って、もんで、たたいて、トンッ。
はい、左の人を向いて。同じことをして…。
学生にとって、隣は親。高校三年生の男の子にとっては少し恥ずかしいアクティビティのように思いましたが、そんなことは気にせず、楽しそうにやっていました。
少しその場を離れて、戻ったら今度は会場全体が“しんみり“していました。
何かと思えば「いつもお世話になっている親に感謝、全てのことにありがとう」を唱える時間。日本語で言う「自分の心に耳を当てて、いつもお世話になっている人、迷惑をかけている人に感謝しよう」ということでしょうか。
隣にいる親御さんに感謝、そして親は、肩を組んで、顔を近づけて、頭をなでて。いろんなところから小さく、泣き声が聞こえてきました。そのまま、教授はホール内を歩き、マイクを渡していってもらう。
少し話はずれますが、今回のことを通して、インドネシアの高校生の親子のカタチを見ることができました。
手を組んで入ってくる親子、仲良しそうに話す親子、親を優先して歩く親子。
日本では高校三年生、だいたい18歳くらいの学生とその親を対象にこのような講演会が行われることはあまりないので、新鮮。
あっても恥ずかしがって、ばらばらに座ることもあるのを見てきているため、余計にそう感じるのかもしれません。
みんな涙を流しながら感謝して、いつもごめんね、いつもありがとう、これから頑張ろう。なんかとても暖かく感じました。
次は、教師たちへの感謝の時間。
600人くらいいる親子の前に立ち、生徒たちや先生たちからの言葉、先生の名まえを呼ぶ叫び声、歌をみんなで聞き、最後はスマホのライトを使って、ライブ状態。
先生たちも終始泣いていました。
最後は、教師全員前に立ち、親が並び、一人ひとりとインドネシア式のあいさつ”サリム(手と手を重ねる)”を、「Terima Kasih(ありがとう)」と言いながらしました。
この挨拶方法、相手に持つ尊敬の大きさが大きいほど、顔に近づけ、おでこやほっぺにつける時もあります。また、厳格な信仰心を持っている場合、相手が異性の時は手を合わせます。親が終わったら生徒、結局会場にいたほぼ全員とあいさつを交わしました。
※ちなみに、この挨拶は学校でも生徒とすれ違うたびにするのですが、相手がどう考えているかわからないため私は手を出していることしかできません。
普段、言語クラスとしか関わりのない3年生(基本は1、2年生のうちは日本語が必修)ですが、時には日本語で「せんせい!ありがとう」と言ってくれる生徒もいて、うれしかったです。
こうして講演会は無事に終わりました (結局大学入試のための説明は少しもなかったわけですが)。
今回、終始インドネシア語、ほとんど難しい話はもちろん聞き取れなかったわけですが、雰囲気によって私も涙を流すことに。
生徒、親、教師、みんなの暖かい気持ちが会場の中にあふれかえり、半年ほど会っていない自分の家族や友達にとっても感謝する時間になりました。
これも一つの文化、一つの体験、というだけではなく、私にとってもとてもいい時間になりました。
3日目とマナド食べ物少し🥥☺️
3日目続き☺︎
帰りに運転手さんにマナドで有名なデザートと言われる「“クラッペルタルト ”が食べたい!」と聞いたら、町のパン屋さんに連れてってくれました。
冷凍庫からこれを出してきてくれた。もっと小さなタルトをイメージしていたので大きさと見た目に驚きでしたが、ココナッツが好きな私には幸せすぎる味でした。
これ、お店によって味も見た目も全然違うみたいで、空港でもマナド名物として、たくさん売っていました。長い間住んでたら食べ歩いて見たいと思うほど好きな味☺️
運転手さんには、夜ご飯のところで下してもらって。
夜ご飯は「地球の歩き方」に載っていた“ラジャ・サテ”へ。
あまりどこ!って決めていくことはないのですが、マナドで過ごす最後の夜。
時間も時間だったので、事前に決めてここへ。
サテ・カンビン(羊肉の焼き鳥)とアボガドサラダを注文。
ボリューム満点、美味しかったです。
↓
最終日☺️
早い飛行機だったので、朝街を少しぶらぶら。
街中で見かけた教会。
アンコット(街を回る乗り物。基本的にどこの地域でも見かける)の色は青。なんか可愛い💫
ちなみにシドアルジョは黄色と緑です。
カラフル!!!
中国系のなにかかな?街では漢字もよくみかけました。
そしてちなみにですが、どこの家でもまだクリスマスの装飾はつけたまま。後からわかったことですが、ハッピーニューイヤーを迎えてもつけているようです。
ということで、お腹を空かせて、空港へ。
空港でBubur Manado(マナド名物おかゆ)を食べようとしましたが…どこもハビス(売り切れ)と言われてしまい。
結局全国共通の🇮🇩料理を食べました笑
この写真のは、ジャワのBubur。白ご飯がわかるのですが、マナドのはかぼちゃが混ざっているようで全体的に黄色なのだとか!
食べて見たかったなぁ〜(無計画の悪いとこはここででました笑)
まぁ、あまりマナド料理は食べれずじまいでしたが、これもいい思い出です。
長すぎず、短すぎず、やりたいことがほとんどできてとってもいい四日間でした。
追記
帰りの飛行機は乗り換えありの一日がかりでしたが、乗り換えの空港はスラウェシ島のマッカサル。国際空港になっており、色んなところから人が来てるよう、お店も沢山あって楽しかったです🤭
ご飯を食べてるとちょうどお祈りの時間になったようで、店の近くでみんながお祈りしていた!どうやら近くに空港モスクがあったようで、入りきらない人は外側でしていたみたい。 大人数&普段なかなか見ない光景だったので少し驚きでした。
👟マナドツアー🚶♀️
3日目
この日は、マナド郊外の一日ツアーを予定していました。
とはいっても、足を用意しておらず…前の日に配車アプリで呼んだ運転手さんがOKしてくれたので、一日お願いしました。
ガイドさんではなく、あくまで運転手。多分あまり情報は持っていなかったのだけれども、探り探り連れてってくれました(笑)
もちろん彼はインドネシア語で話しかけてくる。でも、いい勉強になりました。
三日目の大きな目的はミノハサの方へいくこと。昔日本人が多く来たといわれる場所です。
ツアーを頼まなかったもう一つの理由は、昔の日本軍の壕に連れてってくれるものを見つけられなかった、っていうのもある。ということで、そこを含んで5か所程、お願いしました。
順番としては、Danau Linow(現地の人しかわからないところで名前がわかりません汗)
↓
旧日本軍の防空壕“ゴア・ジュパン”
↓
ミナハサ人の住む街トモホン
↓
トンダノ湖
↓
昔の石の棺の並ぶサワガン
↓
マナドに戻ってキリスト像へ
はじめにいったDanau Linow。
ほんとに大きな湖でした。
色がめちゃくちゃ綺麗。
日本にも温泉があるでしょ?実はここでも沸いているんだよ!
と言って遠くから見してくれました。
湖の横には、カフェが併設されていました。この日は28日。既にクリスマスは終わってましたが、町中はまだクリスマス気分。
次に行ったのは、ゴア・ジュパン。
大きな観光地になっているわけではなく、運転手さんと一緒に結構迷いまくりました。
現地の人に聞きながら着いたのがここ。
数年前は、安全に入れるように整備されていたようですが、今は自然にまぎれていました。近くでは土砂崩れが起きた跡もあり、入ることはできませんでしたが、行くことができてよかった。
壕は一つだけではなく、この道沿いにたくさんありました。
少し車にまた乗り、トンダノ湖へ。
着いたよっていうから「どこ?」っていうと、「目の前だよ!」って。
こうなるくらい、大きい。ていうか端から端がみえない。
年末で人がたくさん。
混んでいたので、コーヒーを飲むにとどめましたが、周りにはたくさんのレストランがあり、湖の綺麗な風景を楽しみながらゆっくりできるスポット。
帰りは緑であふれたトモホンの街を通りながら帰ってきました。
ここは途中急遽寄ってくれたキリストの象徴のタワー?登れるようになっていて、上からは街を楽しむことができる。
次に寄ったのがサワガン。
ここが入口。
この地域のご先祖様が入った石の棺が並んでいる。行くと子供たちが案内してくれた。
1つひとつに違う柄が彫られていて、これはその人が生前好きだったものやイメージなどだそう。面白い。
入口の壁には、彫ってる様子が。
帰り道、市内から少し離れたところにある高級住宅街の丘に建つキリスト像に寄ってもらった。
下から見るだけでも大きい。迫力がすごい。
次に続く....
はじめてのシュノーケリング体験🐢 in ブナケン島
2日目
ブナケン島、マナド市内観光
2日目の大きな目的、それはダイバーたちの憧れと言われている海でシュノーケリングすること(ダイバーライセンスはないので)!
午前中にシュノーケリングをして、マナド市内に行くというのが二日目の流れ…だったはずでした。
朝ご飯を済ませ(ブナケン島はコンビニなどがないため、基本的に宿泊施設に3食ついています)、シュノーケリングツアーありませんか?
と聞いたところ、
目の前の海でできるよ???とのこと。
初めてだったこともあって、一人でするのは怖かった・・・。
粘った結果、同じ時間に希望を出していた家族の船に同行させてもらえることになりました。行き当たりばったりでもどうにかなる、とはこのこと。
8:30に出発。
何をもっていけばいいのかはわからないまんま、とりあえずボートに乗り込み、ブナケン島とマナドの間くらいのころまで行きました。
同行させてもらったマナド在住の家族(父、母、息子二人)はとっても仲良し、話したのは少しでしたが、お菓子をくれたり、終始気にかけてくれました。
お父さんは、ダイビングの資格を持っているようで、すごい装備。水中カメラもたくさん持っていました。
とっても綺麗。見てるだけで楽しい。
止まったところは2つのスポット。
1つ目のところに1時間目、休憩をはさんで移動し、また1時間ほど海へ。
案内のお兄さんに「こっちおいで」と言われ、よくわからずについていくと、ウミガメが!
中々見えないといわれるウミガメを見れて感動していると、潮の流れが強すぎていつの間にかボートから偉い遠い所にいた、というアクシデントはありましたが、とっても楽しかった。
戻ったら、マナドへの帰りのボートが出るよーと言われ、ブナケン島へのお別れをゆっくりする暇なく、急いでマナドへ。帰りはたくさんの欧米人たちのボートに同行させてもらい、ただでした。
宿泊先はこんな感じ。ちなみにシャワーは基本的にどこも塩水しかでないようでした。
バンガロー風の!
レストラン
無事マナドへ帰り、2日目のホテルに到着。
ここに2泊泊まります。
準備をして、夕日の時間に合わせてマナド市内の海沿いに向かいました。
ノープランだったのですが、そこらへん行ったら、何かしらご飯あるよーというホテルの人の言葉を信じて…しかしいざ行くと何がいいかわからず。
結構時間が経ってから、夜ご飯
海沿いはとても綺麗でした。
挑戦はしなかったものの、豚肉料理も!
インドネシアでこんな大っぴらに売られているのははじめてみた…。
近くにマナドで一番新しいモールがあるということでいってみることに。
「Manado town square」
ブランドショップから普通のお店までが並びます。
中華料理、日本食をはじめとしてたくさんのレストランがありました。
都会を感じるところから、田舎を感じるところまで一気に凝縮した感じ。普段住むシドアルジョとは全く違いました。
おまけ
帰りにモール内スーパーに寄ったのですが…
入ってすぐの棚
こんなにたくさんのビールを見たのは久しぶり。なんかとっても楽しかったです。